コラム「パンとアラビア語」生活に欠かせなくなったパンの歴史に迫る

コラム
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第一回目のスーダンコラムのテーマはパンに焦点を当てていきます。
スーダンで30年間続いた独裁政権に対する非暴力不服従の革命の発端が政府のパンの値上げ宣言が大きな要因だったように、今やスーダン人の食卓に欠かかすことのできなくなったパンという魅惑の食べ物についての歴史を紐解いていきましょう。

アラビア語のフスハーとアンミーヤ

アラビア語は、1400年前神様から啓示されたクルアーンに書かれているアラビア語が、今もほとんど形を変えずに新聞やテレビなど公式な場で文語として使われます。これはフスハー(正則アラビア語)と呼ばれています。
フスハーは形式ばっており、日常では堅苦しいので使われていません。イメージ的には日本の新聞に書かれている難しい言葉を日常であまり使わないのと似ていると言えばわかりやすいかもしれません。日常生活では地域ごとに崩した表現となるアラビア語の方言(アンミーヤ)が使われています。
つまり、アラビア語の世界には文語と口語が存在することになります。フスハーを学ぶことはもちろん楽しいですが、その土地ならではのアンミーヤの変遷を辿っていくのも非常に面白く興味深いですよ。

アラビア語でパンは??

フスハーでパンは「 خبز(フブズ) 」と言います。
そして、場所を表す接頭語のمをつけて「مخبز(マフブズ)」でパン屋さんという意味になります。アラブ諸国でパンはフスハーのままフブズと呼んでいる地域が多いです。

ところが、スーダンではパン屋さんを表す言葉にマフブズを使っているのに、そこで売られているパンはフブズとは呼ばれていません。
スーダンの人はパンのことを「عيش(エーシュ)」と呼んでいます。お隣のエジプトでも同じようにエーシュを使っています。
この言葉は「عاش(アーシャ)」という動詞から派生したものです。アーシャは「生活する、生きる」という意味で、人々がパンのことをエーシュと呼ぶことは、パンが人間の生活にとって大事なものだということがこの言葉から伝わってきますね。
ところが、生活という言葉と結びついているパンですが、スーダンのパン食を紐解いて行くとパンが生活に浸透したのはつい最近になってからだということがわかってきます。

パンが広まったのは最近

小麦の栽培は、約1万年前のメソポタミアから始まったとされます。当時はパンにするのではなくお粥状にして食べていたとされています。粉にして焼いて食べるパンが食べ始められたのは、5千年前のエジプトだとされ、その様子が今でも壁画に残されています。
古来から小麦の栽培は文明が発達した川沿いの地域で行われていました。一方、スーダンは高温乾燥地帯で、年間雨量が300mと少なく最低で雨量が500m必要な小麦の栽培には適していない土地が国土の大半を占めています。ナイル川流域の水に恵まれた土地で限定的に栽培されていたと考えられています。スーダンのようなひ乾燥地域では、小麦ではなく乾燥に強いソルガム(きび)が主食として食べられてきました。

スーダンでパンが普及しだしたのは、近年になってからです。イギリスの植民地独立後のスーダンは内戦状態が長年続き、食糧不足が何度も囁かれてきました。そんなスーダンに海外から小麦が支援物資として大量に運ばれてきました。スーダン政府は各地にパン屋を作り、タダ同然の小麦を安く販売するようになりました。ところが、支援物資は永久にあるわけではありません。小麦の自給率が低いのにパン食が全土に広まり、外貨を使い小麦を輸入に頼っています。

エーシュはエジプト方言からの借用??

パン食の文化が近年まで広まらず、パンが食卓の中心ではなかった時代が長いスーダンで、パンを生活を意味するエーシュと呼ぶのは、エジプトの影響を強く受けていることがわかります。隣国のエジプトからエーシュという言葉が入ってきて、パンをエーシュと呼ぶようになったと考えるのが自然ではないでしょうか。
しかし、今ではパンはスーダンの生活の中心にあります。パンは政府の補助金が使われ、安く簡単に食べられるものとして現代のスーダンに定着し、まさしくエーシュと呼ぶに相応しい、人々の生活に欠かかすことができなくなった食べ物となっています。