イスラム教は神様の絶対評価社会【日本は他者の目が基準?】

イスラム教

ルース・ベネディクトの『菊と刀』

1944年にルース・ベネディクトによって書かれた『菊と刀』は、日本人の行動規範は恥にあるという視点から日本文化を解明した文化人類学の名著です。
「美を愛好し、芸術家を尊敬し、菊作りに秘術を尽くす」側面と、「刀を崇拝し武士に最高の栄誉を帰する」相反する側面の二面性を象徴的に「菊」と「刀」という言葉で表現しています。

ベネディクトは日本文化は恥を基調とし、他者からの評価が自己の行動基準に繋がっているとし、そこには一種の同調圧力を感じたそうです。
つまり、相対的な評価が重要ということです。善悪の判断を下すのは他人の目となります。
人目のつかないところでは悪いことをしてもいいのだと考えているとも言えるのです。

バレなければ浮気をする?

それを具体的に表しているのが、不倫や

浮気です。株式会社リベラシオンが作っている女性向けメディア『コイスルカラダ』では、女性の浮気の実態について20代から40代の女性5940名に調査しました。そのうちの77%が不倫経験があると答えました。
たしかにこのようなサイトを利用する人が偏っているとの見方もできますが、それを差し引いても多いですね。

日本人既婚者の男性では3人に1人、女性は5人に1人が浮気の経験があると言われています。

最近では、芸能人の不倫が問題視されますが、その行動に導いているのはバレなければなにをしてもいい。他人の目を避けるためには多目的トイレを使ってもいいと考えてしまうのです。

神様の絶対評価

イスラーム教では、どんなことでも神様は見ています。

見ているだけでなく、人間の心の中もお見通しです。なので人目を避ければ悪いことをしてもいいなどとは考えません。もちろん人間ですから悪いことをしてしまうことのありますが、その時神様の懲罰を恐れる気持ちが湧き起こります。

死んだあとに、誰にも知られていないはずの悪事を神様に問われるのを想像すると怖いですよね。

つまり、イスラーム教徒の行動の指針は神様にあり、それを絶対的な評価基準として人間は守って生きていくのです。

懲罰を恐れない人はイスラーム教徒ではない

生きている間は神様の審問を受けることはないので、何をしてもいいと考える人はイスラーム教徒ではありません。

最後の審判を信じ、そのために現世を神様から与えられたテストだと思い、生活で実践するものこそイスラーム教徒なのです。