【犠牲祭】とは?なぜイスラム教徒は犠牲祭で家畜を屠殺するのか

イブラヒーム イスラム教
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犠牲祭の祝日が間もなくに迫ってきており、市場では祝日用の衣装を売る商人の威勢の良い声が響き、全国から羊売りが首都に集まりスーダンの首都ハルツームは活気に満ちています。

イスラム教徒にとって重要な祝祭である犠牲祭ですが、日本人にはあまり馴染みがありませんね。このページでは、犠牲祭とは何か、イスラム教徒がなぜ家畜を屠殺するのかを以下のポイントに分けて解説していきます。

①犠牲祭は、巡礼の最終日
②ルーツは、イブラヒームの物語
③家畜を屠殺して、困窮者に分け与える

①犠牲祭は巡礼の最終日

犠牲祭が行われる日はメッカ巡礼の最終日の日になります。
イスラム暦でいうズルヒッジャ月の10日目です。

メッカへの巡礼は条件の揃ったイスラム教徒にとって義務となります。
そしてその巡礼を無事終えられたことを神様に感謝し家畜を屠殺して祝うと同時に、その肉を困窮している人にも分け与え喜びを分かち合います。

また巡礼に参加していない世界中のイスラム教徒も家畜を犠牲に捧げることは強く推奨されたスンナとなっています。巡礼が終わった日、世界中のムスリムが家畜を屠殺することから犠牲祭と呼ばれています。
つまり、犠牲祭というのは独立した行事ではなく巡礼の最終日に合わせ、世界中のムスリムが神様に感謝し、家畜を屠殺する日であるということになります。

ではなぜ祝福の仕方が家畜を屠殺する方法なのでしょうか。その答えは旧約聖書とクルアーンの中に見て取れます。

②旧約聖書 イブラヒームの物語

犠牲祭の由来は、イブラヒーム(アブラハム)とその息子の物語に由来します。
イブラヒームに関する物語は旧約聖書の創世記12章から22章に書かれています。

簡単に家畜を犠牲に捧げるようになったストーリーを説明します。

イブラヒームとその妻サーラは神様への信仰心の篤い人でしたが、老齢を迎えてもこの二人に子どもができませんでした。そんな年老いた2人に、神様は子どもを授けてくださります。

高齢になってからの予想外の子宝にイブラヒームは感激し、神様へ深く感謝します。

ところがしばらくして、イブラヒームは神様から試練を言い渡されます。
「息子を山上で犠牲に捧げなさい」

ようやく授かった愛する子どもを、犠牲に捧げよという神様の命令にイブラヒームは悩みました。
しかし、信仰心の強い彼は、息子を山上へ連れていき、刃物でその首を切ろうとしました。

その瞬間、神様はその子に何も手を下すなと命令します。

そして茂みに隠れていた羊を息子の代わりに捧げたのです。
愛するひとり息子の命さえも惜しまない強い神様への信仰心の物語として語り継がれています。

クルアーンにみるイブラヒームの物語

クルアーンではこの息子を犠牲に捧げようとしたイブラヒームの物語は、37章整列章に書かれています。

100. 主よ,正しい人物になるような(息子)を,わたしに御授け下さい。」

101. それでわれは,優しい思いやりのある男児を(授けるという)昔報を伝えた。

102. (この子が)かれと共に働く年頃になった時,かれは言った。「息子よ,わたしはあなたを犠牲に捧げる夢を見ました。さあ,あなたはどう考えるのですか。」かれは(答えて)言った。「父よ,あなたが命じられたようにして下さい。もしアッラーが御望みならば,わたしが耐え忍ぶことが御分りでしょう。」

103. そこでかれら両人は(命令に)服して,かれ(子供)が額を(地に付け)うつ伏せになった時,

104. われは告げた。「イブラーヒームよ。

105. あなたは確かにあの夢を実践した。本当にわれは,このように正しい行いをする者に報いる。

106. これは明らかに試みであった。」

107. われは大きな犠牲でかれを贖い,

108. 末永くかれのために(この祝福を)留めた。

109. 「イブラーヒームに平安あれ。」(と言って)。

110. このようにわれは,正しい行いをする者に報いる。

111. 本当にかれは,わが信心深いしもべであった。

クルアーンの中で、神様は息子を犠牲に捧げよと命じてイブラヒームがどのような行動をするのか試みたとされています。
それに対し、イブラヒームはその命令に従います。

イスラームとは、神様に絶対的に帰依するという意味ですから、真のイスラーム教徒としてイブラヒームとその息子は全ムスリムから尊敬される人となっています。

そしてこのイブラヒームの忠誠心を讃えるため、年に1度世界中のムスリムが犠牲祭で家畜を屠殺するのです。

③犠牲を捧げ、貧しい人に肉を施す

クルアーン22章巡礼章に巡礼者が家畜を屠殺し食べ、貧しい人にも施しなさいとあります。

26. われがイブラーヒームのために,(聖なる)家の位置を定め(こう言った)時のことを思いなさい。「誰も,われと一緒に配してはならない。そしてタフーフ(回巡)する者のため,また(礼拝に)立ち〔キヤーム〕,立礼〔ルクーウ〕しサジダする者のために,われの家を清めよ。

27. 人びとに,巡礼〔ハッジ〕するよう呼びかけよ。かれらは歩いてあなたの許に来る。あるいは,どれも痩せこけているラクダに乗って,遠い谷間の道をはるばる来る。

28. それは自らの(現世と来世の)御利益に参加し,また定められた日の間,かれがかれらに与えられた(犠牲の)家畜の上にアッラーの御名を唱え,それから『あなたがたはそれを食べ,また困窮している者にも食べさせなさい。』

29. それからかれらの必要な儀式を終え,誓いを果し,そして古来の家(カアバ)を,タワーフしなさい。」

108章潤沢章でも犠牲を捧げることの徳が書かれています。

1. 本当にわれは,あなた(ムハソマド)に潤沢を授けた。

2. さあ,あなたの主に礼拝し,犠牲を棒げなさい。

3. 本当にあなたを憎悪する者こそ,(将来の希望を)断たれるであろう。

クルアーンの中にもあるようにイスラーム教では、家畜を屠殺してそれを困窮している人に振舞うことはとても良いこととされています。

そのため、犠牲祭でも屠殺した家畜の3分の1を困窮している人々に分け与えます。すべての人がお腹いっぱい肉を食べることができる幸せな日なのですね。

犠牲祭まとめ

・犠牲祭は、巡礼が無事終わったことを祝う行事
・ルーツは、イブラヒームの物語
・家畜を屠殺して、困窮者に分け与える

犠牲祭は、イブラヒームの物語に由来する神様への忠誠の物語と、巡礼において屠殺した肉を施すということに由来していることがわかりました。

犠牲祭は、イスラム教徒にとって神様への忠誠を守ったイブラヒームに思いを馳せ、自分の信仰心を強くすることができます。
また、家畜を買うことができない貧しい人に肉を分け与えることでムスリムとしての相互に助け合う精神を実践する機会となります。