優しいアラブ人、冷たい日本人って本当!?

イスラム教
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イスラム教徒の助け合いの精神

スーダンに暮らしていると、本当にスーダン人の優しさを感じることが多いです。

例えば、バスの座席で男性は必ず年配の方、女性に譲ります。これは間違いなく100%そうなっています。

また、貧しい人がレストランにいき、食べ物を少し分けてくださいと従業員に言うと、彼らは無料で食べ物を分け与えています。
モスクで礼拝をした後、病院の診断書をみせて自分の家族を助けてほしいと訴えれば、生活にそれほど余裕のあるとは思えないスーダン人の懐からたくさんのお金が集まってきます。

こんな光景を見るたびに、この国ではみんなで助け合って生きているという実感をもて、温かい安心感を感じます。

このような困っている人への親切心はイスラム教の教えからくるものです。

ラマダーンでは、貧しい人の気持ちを理解できるように共同体全体の断食が課せられますし、犠牲祭では屠った羊の三分の一を貧しくて羊を買えない人に与えなさいとされ、言葉だけでなく実践が要求されます。このような理論と実践の積み重ねによってイスラーム教徒は他者を助けることが自然と身に着いていきます。

一方、日本の首都東京では、電車の座席で寝たふりをして優先席であってもその席を必要としていそうな人に譲らない若者。生活保護や貧しい人へのバッシングを行い全く寛容さがありません。イスラーム圏ではのびのびしているホームレスも日本では避けられる存在です。

こうしてみると日本人は他人に優しくない人に感じられてしまいます。

目の前の人は助けるのだが。。。それ以外は。。。

しかし、イスラム教徒であっても日々の暮らしの中でなんでこんなことするのと感じて、まったく優しさを感じないことも多くあります。

例えば、スーダン人はごみは道にポイ捨てするので、道はゴミだらけです。みんな捨ててるから大丈夫、自分の家が汚れるわけじゃないからどうでもいいと思っています。

そして、公共スペースであるトレーニングジムでは、使った器具を片付ける人は全然いないので、あらゆる器具が散乱してぐちゃぐちゃになっています。

レストランでは食べ終わったあとのテーブルは日本では考えられない程悲惨です。皿の食べ物を食べきらないのは文化ですが、テーブルの上に食べ散らかしをするのは一生私が理解できないことの一つです。

このようにマナーの悪さという面では日本では、ありえないことが起こります。

優しさへのアプローチが違う

つまりスーダン人は目の前に困っている人がいたら全力で助けますが、次に使う人のためにとか、ほかの人が便利になるようにといった公共性の考えが基本的にない人が多いです。

日本人は目の前の人を助けたいという気持ちを持つ人は多いですが、それは行動という実践になると立ち止まってしまいます。
だけれども、次の人のためにとか他の人が困らないようにとかという考えで、整理整頓したり使いやすいように準備しようとします。

これらはどちらも優しさの表れです。
日本人は意識せずに、人を助けているのです。

日本人は優しくないわけではないのです。

このようにみていくとスーダン人も日本人も優しさがありますが、そのアプローチの仕方が違うだけなのだということに気が付いてきました。