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イスラム教徒に「おみこし」を担がせる日本人
先日、ネットサーフィンをしていたら、こんな記事を見つけました。
「祭りだ、ワッショイ!JICA研修員が神輿担ぎに挑戦!」
2015年と古い記事ですが、神戸市中央区筒井八幡神社の秋まつりに海外からきたJICA研修員が参加し「おみこし」を担いだというものです。
この研修員のなかにイスラム教徒が5名ほどいたようです。顔写真つきで以下のように書かれています。
さらに、「8か国10名の研修員が芦屋のだんじり祭に参加、日本の伝統文化に学ぶ」
これも2015年の「だんじり祭り」にイスラム教徒が参加したというJICAの記事です。だんじりの上に登っている写真付きです。
伝統的な行事としていますが、「おみこし」って宗教行事ですよね。しかも多神教の行事です。
これを問題だと思えないJICAにがっかりしました。
なぜイスラム教徒が「おみこし」を担ぐのが問題なのかをみていきましょう。
「おみこし」とは
「おみこし」と聞くとお祭りをイメージしますね。そもそもこのお祭りの語源は「祀る」で神を祀ることです。
お祭りのなかで「おみこし」を担ぐのも神を祀る行為となります。漢字で「おみこし」は「御神輿」と書きます。
つまり、「おみこし」とはお祭りのときに神様がでかけるための乗り物です。
「おみこし」を担ぐ=神様を運んでいる
これって立派な信仰行為に当たりませんか?
「山車」や「だんじり」もほぼ同じものです。
「山車」は神様の拠り所として、祭りの間神様を招き入れ、居着いていただくためのものです。
「だんじり」は山車の一種とされています。
イスラム教では多神教崇拝は禁止されています
イスラム教ではアッラー(神)は唯一の存在であり、アッラーの他に神は存在しません。
そもそもイスラームの語源は、「神に帰依するもの」で、アッラー以外の神を信仰する行為は許されません。
この唯一の神を信仰することをタウヒード(一元性)といいます。
イスラムは一神教の宗教ですが、イスラムでは多神教のことをシルク(多元性)と呼んでいます。
聖典クルアーンの中で多神教を信仰することは大罪とされています。
シルクは、これまでの善行や崇拝行為を無効にし、破滅と損害をもたらします。
以上のように、アッラー以外の神を崇拝することの恐ろしさがわかりました。
話しを戻して、JICAの記事の危険性について考えてみましょう。
JICAの記事の問題点
この記事にはいくつか考えてみなければならない点があります。
- 「おみこし」が宗教行為だとJICAが教えていたかどうか
- もしイスラム教徒が神輿が宗教行為だと知っていたら
- 写真を掲載することに問題があると考えたか
「おみこし」が宗教行為だとJICAが教えていたかどうか
- 教えていなかった場合
もし、JICA側が宗教行為になると教えていなかったら、これは知らずに参加してしまった人から罪に問われてもおかしくない行動になります。 - 教えていた場合
もしイスラム教徒が趣旨を理解したうえで、「おみこし」を担いでいたとしても誰も罰することはできません。イスラム教は他罰的な宗教ではありません。この場合の善悪は、アッラーが判断することになります。
もし、イスラム教徒が「おみこし」が宗教行為だと知っていたら
そもそも、「おみこし」を担ぐことが、崇拝行為に当たるのか当たらないのかは個人の考えに差があります。
ただ単に楽しむだけで、心では何も思っていなかったら許されると考えるイスラム教徒もいます。
神道側への配慮も必要ですが、神道で信仰心が問われるというのは、あまり聞いたことがありません。ある意味、神道はものすごく懐が深いのかもしれません。
写真を掲載することについて
完全な顔出しで写真を公開していますが、他の宗教行事に参加している写真の取り扱いは、かなりナイーブな問題だと思います。
まとめ
以上、イスラム教徒に「おみこし」を担がせることの問題点をみてきました。
記事だけでは、詳細がわかりませんが、この問題が非常にナイーブだということはわかっていただけたかと思います。
イスラム教徒を「おみこし」に誘うときは、しっかり趣旨を説明したうえで、本人に任せるようにしましょう。