青年海外協力隊に行った経験は人生の無駄にならない理由を解説!

国際協力
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こんにちはリヤード齊木@TaroWillingです。

わたしは青年海外協力隊でスーダンに派遣され、任期終了後もスーダンに残り活動しています。
青年海外協力隊に興味があるけど、参加するのが怖いという方も多いと思います。
それは当然のことで、日本の社会では一度レールから外れてしまうとなかなか戻ってくるのが大変です。

ただ、それであきらめてしまってはもったいない

その理由を書いていきたいと思います。

人生観が180°変わるほどの衝撃

スーダンのイメージは飢餓でやせ細った子どもたちと医療団、紛争で苦しむ人たち。どれもこれも悪いイメージでした。
青年海外協力隊の任地がスーダンだと決まった時、困った人を救えるという使命感と自分も死ぬんじゃないかという不安が混ざった複雑な心境だったのを覚えています。

ところが、実際にスーダンの首都ハルツームに降り立ってみるとイメージとはかけ離れた世界が待っていました。
裕福そうな人はあまりいませんが、だれもが笑っているのです。
道を歩いていれば優しく話しかけられますし、お茶や食事をご馳走してくれます。バス代だって知らない間に払ってくれ、何も言わずに去って行きます。

私には衝撃でした。

困っている人のために何かをしたいと思って参加した国際協力ですが、気づけば誰かを助けるどころか助けられてばかりいたんです。そして、自分の想像していた国際協力という考え方は独りよがりだったことに気付きました。

ここにはここの暮らしがあって幸せがあって、確かにモノは不足しているけれど人と人と助け合って生きている。
よっぽど日本人より幸せな暮らしを送っているんです。

もちろん、幸せの裏には苦しみだってある。田舎に行けば医療も清潔な水もないけど、前向きな心は変わらない。

多くのスーダン人と関わっていくうちに、人は何のために生まれてきたのかがわかってきたように感じました。
人生観が変わるとはまさにこのようなこと。
こんな素敵なスーダン人たちと暮らしたいって気持ちはどんどん強くなっていきました。

自分の思いが伝わらず苦しんだ先に気づいたもの

もちろん、協力隊生活は楽しいことばかりではありませんでした。

特に言葉が通じない世界で何か行動を起こすことの大変さを思い知りました。
1年目は自分の頭の中では「やりたいこと」がはっきりしているのに同僚に伝える手段がなく、プリジェクトをあきらめることもしょっちゅうあり、非常にストレスを感じていました。

2年目を迎えるにあたって言葉のコミュニケーションに限界を感じた、言葉ではなく絵を使ってイメージを共有しようとしました。
絵を描くには長い時間が必要ですが、それが効果抜群でした。

私が一生懸命何かを伝えようとしているのを感じてか、同僚も一生懸命理解してくれようとしてくれるようになったのです。

日本語だけで細かいニュアンスが伝わる環境ではわからなかったのですが、一生懸命に伝えようとすれば相手も一生懸命に理解してくれようとすることを肌で学べたのです。

自分は結構弱いなと自覚したところから

日本にいると名刺さえあれば、不安になることはありません。
しかし、途上国という見知らぬ土地で生きるとなると今まで積み重ねたものはリセットされます。

そして身一つで物事に立ち向かわなければならないのです。

これが思ったより大変でした。自分一人では何もできないのです。
そしていつも誰かに助けてもらっている。こんな自分じゃだめだなと思っていたときに日本語を勉強しているスーダン人の友人から言われた一言がものすごく響きました。

「お互いのことを深く知れるように神は人間を弱く作った」

この言葉を聞いたとき、曇っていた視界が一気に晴れたのです。
人間は弱くていい、そういう風になっている。

なんて優しい言葉でしょうか。

自分の弱さを自覚しつつ、自分ができることをしていけばいいということを学んだのです。

自己責任の社会はつらい

日本は経済的に豊かでしょうが、豊かさを保つためだけに生きているように感じて生きてきました。
ものさしをモノにあてるとスーダンは決して豊かではありません。

でも、なぜだかスーダン人の方が幸せそうにみえてしまいます。

明確な理由をみつけることはできませんでしたが、なんとなく彼らは今を生きているようにおもえました。
日本では、少子高齢化で年金がもらえるのかとか、保険に入らなくちゃとか、なにかと未来の心配ばかりしています。

イスラム教では未来のことは全て神様が決めます。だから未来のことを不安だって言っている人を見たことがありません。
そして、お金がなく生活に困ってもそれはその人のせいではなく、それも神が決めたこと。
神は弱い人を助けなさいと言っていますから、みんなで困った人を助ける相互扶助があります。

困った人を助ける社会は、自分が困ったときも助けてもらえる社会なのです。
だから人々は、豊かではないけど豊かそうにみえるのかもしれません。

青年海外協力隊は自分を成長させてくれた

日本で普通に生きることだって、毎日大変だし生半可な気持ちではできないことです。

ただ、そればかりが人生ではない。
自分が成長できる場所を求めていくというのも人生です。

もし、今あなたが青年協力隊に応募するか悩んでいるとしたら、絶対に無駄な2年間にはならないのでチャレンジしてほしい。