みなさんこんにちはリヤード齊木です。
イスラーム教に改宗する方法!ユダヤ教・キリスト教と比較してみました
この記事でイスラム教への改宗の仕方を解説しましたが、改宗しただけではまだイスラーム教の入口に立っただけです。
イスラームとは生活すべてが信仰で、全生涯をかけて神にお近づきになろうとする宗教だからです。
改宗は天国へのチケットをもらえる権利が手に入ったといえばわかりやすいですかね。
Contents
イスラームという言葉の意味
イスラームの語源は「自分自身を委ねる」です。アッラーに対して使うと「アッラーに帰依する」となります。
イスラーム教徒になるということは、唯一の神に自分自身を帰依するという意識的な決意を表すことです。
イスラーム教徒=アッラーの教えに従うもの
【六信】6つの信じることがある
イスラーム教徒は六信五行と呼ばれる基本的信条をもっています。これはイスラーム教の核の部分です。
イスラム教徒が信じる6つのことは以下の通りです。
- 神(アッラー)
- 天使
- 経典
- 預言者
- 終末の日を信じること(来世)
- 天命
神を信じること
イスラーム教では、神がわたしたちはもちろんのことあらゆる森羅万象を創造した唯一の創造者と考えています。
神が唯一であることをタウヒードと呼びます。タウヒードとは「物事を1つにする」というアラビア語の名詞です。
宇宙で起こっている出来事は神の定めによるものです。
天使を信じること
天使はアッラーに創造された存在です。光から作られているため人間の目にはみることができません。
天使はアッラーのしもべで、アッラーの命じたことに忠実に従います。
神は直接人間にかかわることはありません。そこで、天使が神と人間との間のつなぎ役を担います。
例えば、クルアーンを預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安とあれ)に啓示を運んだのは大天使ジブリールです。
天使は信者へ愛情を持ち、現世と来世で信者をサポートします。
1人の人間には2人の天使がついています。
これは、その人間の行動を記録するためです。
右肩には善い行いを記録する天使
左肩には悪い行いを記録する天使がいます。
最後の審判の日に善い行いが多いものが天国へ行けるということですね。
経典を信じること
ここでいう経典とはクルアーンのことだけではありません。
神から啓示されたとする全ての経典のことです。
- モーセに下された律法書
- イエスに下された福音書
- ダビデに下された詩篇
- イブラヒームに下された啓示の書
- ムハンマドに下されたクルアーン
これらすべてを信じています。そしてクルアーンは最後の経典です。
神がクルアーンを下されたのは、他の経典が人間によって書き換えられてしまったからです。
クルアーンは書き換えや誤魔化しのない人類を導く完成した経典なのです。
預言者を信じること
預言者とは、人間に啓示を伝えるために神から選ばれた人のことです。
最初の預言者はノア箱舟で知られるノア(彼の上にアッラーからの平安あれ)です。
預言者は神の特性がないことがイスラーム教でとても重要です。
そのためイエスについてキリスト教と異なった考え方をしています。
イエスの三位一体を否定し、イエスは預言者であるとしているのがイスラーム教徒のスタンスです。
よくイスラーム教とキリスト教が仲が悪いように言われますが、考え方の違いがあるのですね。
でもイエスの存在を否定していません。イエスを否定することは全ての預言者を否定することになります。
それはクルアーンを否定することでもあります。
終末の日を信じること
最後の審判の日、太陽は西から昇り、ラッパが吹かれると大地と空にあるものは全て死に絶えます。
そして、再びラッパが吹かれると人々は起き上がります。
人々は復活し神の前に裸足で並びます。
そして行ったすべての行為によって神に裁かれるのです。
天国は信者の永久の家となり、地獄は不信仰者の懲罰の地になります。
イスラム教徒は終末の日に神の恩恵を受けるために現世での行いに気を付けます。神の恩恵を望み率先して善い行いをし、悪いことを控えようとします。
天命を信じること
神は未来に起こることを全て知っておられます。
だから人間のできることはそんなに大きいものではないと考えています。
日本人のように失敗すると自暴自棄になるということはイスラム教徒にはあまりありません。
職を失ってもそれは神が決めたこと、経済的に苦しいのも神が決めた試練だと考えます。
自責の念が薄いのですね。
自己責任という言葉はありません。
六信についてのまとめ
六信についてみていきましたが、この6つは独立しているものではありません。
すべてにつながりがあります。
この6つを理解することでイスラームという宗教を理解することにつながります。
【五行】五つの行う柱がある
イスラーム教徒は、頭の中で信仰するだけではなく日常の行為全てが崇拝行為となります。
五行とは以下の通りです。
- 信仰告白(シャハーダ)
- 礼拝(サラー)
- 喜捨(ザカート)
- 断食(サウム)
- 巡礼(ハッジュ)
信仰告白とは
これはイスラームでは最も大切で根幹となります。
- 私はアッラー以外に神がないことを証言します。
- 私はムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)が神の使途であることを証言します。
この2つを心の底から言葉に出すことです。
これはイスラームの道に入るときに言う言葉ですが、入信後も言葉に出します。
礼拝(サラー)
1日5回の礼拝はイスラム教徒にとって最も大切な崇拝行為となります。
ある男が、預言者ムハンマドに尋ねました。
「一番善い行いとはなんですか」
預言者は3回続けて「礼拝」と答えました。
4回目に男が聞いたとき、「ジハード」と答えました。
最後の審判で一番問われる行いは礼拝です。
みせかけの礼拝ではなく心の底からの礼拝が大事なのです。
喜捨(ザカート)
喜捨は字のごとく喜んで捨てるということです。
人間は欲望に支配されやすい生き物です。神のためにお金を使うことは魂を清めることになります。
また、喜捨で集めたお金を社会の貧しい人々を助けることに使うので、絆を強めることになります。
喜捨は一定以上の所有物があるイスラーム教徒が行います。
全体の財産の2.5%が喜捨の基準です。お金がない人は穀物や、家畜などを喜捨します。
断食(サウム)
断食は、経典が下されたラマダーン月に日中の飲食や性行為を避けることをいいます。
断食によって欲望を抑えることを学ぶことや、貧しい人の気持ちを理解できるという面もありますが、最も大事なのは信仰心を強くするということです。
断食は自分の信仰心を試す機会です。そしてあらゆる欲望に立ち向かうことで神への敬虔さが培われます。
断食は、精神が正常で体が健康で、定住しているムスリムに義務付けられています。
上記に当てはまらない場合は、規定によって延期されたり免除されたりします。
巡礼(ハッジュ)
巡礼とは神に仕えるため、決められた時期にメッカへ赴くことです。
巡礼では、金持ちも貧しい人もイフラームと呼ばれる白い一枚布を身に着け、神の前で同じ行いをします。
人間は神の前で人は平等な存在だということを再確認することができます。
五行についてのまとめ
五行はイスラーム教徒が生活で実践する信仰行為のなかで、特に大切なものになります。
この五行以外にも多くの実践がありますので、これだけがすべてではありません。