スーダンには3つの世界遺産があります。
・ポートスーダンのサンガネーブ海洋国立公園とドゥンゴナブ湾=ムッカワル島海洋国立公園
・ゲベルバルカルとナパタ地域の遺跡群
・メロエ島の考古遺跡群
今回はメロエ島の考古遺跡群について解説します。
メロエの歴史
川に沿って文明は発展します。ナイル川の恩恵を受けたのはエジプト文明だけではありません。
現在のエジプト南部とスーダン北部からハルツームにかけて広がる地域は、ヌビアと呼ばれてきました。
ヌビアとエジプトを分けるのは肌の色の違いです。ヌビアは肌の色がより黒いのが特徴となっています。
ヌビアとエジプトのかかわりは紀元前4000年ごろまで遡ります。遺跡から発掘される出土品が調査され歴史的に古いことが証明されています。
時にヌビア人はエジプトの奴隷と兵士になったりしましたが、エジプトを支配しファラオとしてエジプト第二十五王朝を開いた時期もあります。
しかし、アッシリアのエジプト侵入によってヌビアのエジプト支配が終焉し、ヌビアの人々は南部に逃れます。
逃げたヌビア人が建設したのがメロエ王朝です。
エジプト文化の影響を受けたメロエの文化は、エジプト文化とヌビアの文化がミックスした文化をもっています。
メロエの宗教は太陽神とライオン神など地域の神々を結合しています。
メロエの王は司祭でもあり、遺体はピラミッドの下に埋葬されました。ヒエログリフを参考に、独自の文字メロエ文字をもっていました。現在残るピラミッドにもメロエ文字が残されています。
しかし、メロエ王朝は4世紀エチオピアのアクスム王国に滅ぼされます。ピラミッドは破壊されずに今日まで残っています。
エジプトピラミッドとの違い
エジプトのピラミッドに比べるとメロエのピラミッドは非常に小ぶりです。また非常に尖った形をしています。
小さなピラミッドがそこかしこに乱立し、大きなピラミッドがドカンとあるエジプトとは異なっています。
大きなものより小さいピラミッドの方がお墓としては、理にかなっているように感じます。
またヒエログリフではなく独自のメロエ文字が刻まれています。メロエ文字は未だすべて解明されていません。そう思うとメロエ文字の神秘性を感じることができます。
エジプトのピラミッドは以前から登る旅行者が多く、現在では警備が厳しく登ることができません。しかし、メロエのピラミッドは登ることができます。
とはいうものの世界遺産なので落書きや破壊をしないようにしましょう。
メロエ遺跡へのアクセス
ハルツームからメロエ遺跡に行く場合、直通便はありません。
まずハルツームからメロエ遺跡の近くの町、シェンディまでバスで行きます。
シェンディにバスで着くと、チャータータクシーの運転手がいますので交渉してタクシーに乗りましょう。
公共交通機関もありますが、メロエ遺跡の前まで行かないのでおすすめできません。
メロエ遺跡訪問で気を付けること
スーダン人はメロエと呼ばずに「ベジラウィーヤ」と遺跡のことを呼びますので注意が必要です。
メロエ遺跡は日陰になるところがなく直射日光がガンガンに浴びます。日焼け止め、サングラス、帽子を準備するようにしないと大やけどになります。
地面が砂ですので靴を履いてください。私はサンダルで行って足をやけどしました